【映画】KOTOTO 感想

kotoko

ちょっと遅いですが、KOTOTO(http://www.kotoko-movie.com/)の感想です。
ネタバレ前提で書きますので、まだ見ていない方などはご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一言で言うと「衝撃」でした。
coccoであの内容なので、ぴったりというか、
見た後の消化のできなさといったら、今までにないくらいです。
もやもやしながらその日の夜は眠りました。

しかし、次の日くらいにようやく自分でも納得できる解釈を見つけました。
(ただ、後から考えると無理やりだなぁという感は否めないのですが)
SF超能力的な見解です。

主人公はタイムリープしている説

これに思い当たりました。
ジョジョで言うところのキング・クリムゾン バイツァ・ダストのように
時間を操る能力を持っている、と。

しかし、そんな描写はありませんね。
ではひとつ、仮説を立ててみます。

時間を操る能力を持っていながら、
自分では意識せず能力を使っているのではないか と。

この映画が主人公の主観的な映像ということに注目して下さい。

例えば、ある事件が発生したあと、無意識に時間が巻き戻り、
今度は事件が発生せずに時間が経過したとします。

すると、
・事件が発生した現実
・事件が発生しなかった現実
とが脳内で重複して記録され、認識として「ダブリ」が
発生するのではないか、という仮説です。
自分でも無意識で時間が戻ったりすることで、
ある種の混乱が発生してもおかしくありません。

 

…いくつかのシーンで検証してみましょう。

まず、冒頭の2人の同一の人が見えて、片方が襲ってくる場面。
これがまさに「ダブリ」だと考えられます。

何らかの理由※1で日常的に危険にさらされていて、
身に危険が迫ったときに、無意識にタイムリープを発動。
世界線が変わったため、今度は身に危険が及ぶことなく
過ごすことができる、という感じです。

※1例えば超能力者ということが世間的にバレていて、その能力の利用を企む組織に狙われているとか、
ちょっとテレビの見過ぎですね。 

また、ラストのおもちゃ箱がひっくり返ったような
ファンタジー世界、あれば今までは「自身の身の危険」が
能力のトリガーだったものが、自分の意図、願いにより発動させることが
できるようになった描写なのではないでしょうか。

一番気になる描写は、うろ覚えなのですが、
主人公は拉致される描写があったかと思います。
あれにすごい違和感を覚えていたのですが、
この仮説に当てはめると、まさに「能力を狙う組織」の図が見えて
納得できます。

そしてラストの施設は、能力者研究所で身柄を確保されている状態、
息子は「コントロールできる能力者」として研究所で訓練を受け、
その帰りに母に会っていると。
そこまで考えるのは飛躍しすぎでしょうか。

 

いかがでしょうか?
超能力をコントロールできない人の悲劇を描いたのがこの作品、
という解釈です。
監督の意向や、本作品の趣旨にはそぐわないかもしれませんが
「この考え方もありかも」と思っていただけたら幸いです。

PS:僕自身が筒井康隆の七瀬3部作をちょうど読んでいる最中だったので、
おおいに影響を受けているかもしれません。